2004年4月19日 ポツダム発
ナイル川下流デルタ地域で発掘調査を進めていたドイツ・エジプト合同考古学者チームは、プトレマイオス王朝期まで遡る三言語併記(厳密には二言語・三文字併記)の石碑を発掘したと発表しました。ドイツ隊が発掘作業をしていたカイロの北東90キロにあるブバステの遺丘で「全く偶然に」発掘されました。
この石碑は、灰色の花崗岩で作られており、高さ99センチ、幅84センチあります。
この石碑には、ヒエログリフ(聖刻文字)のテキストの後に、ギリシャ語テキスト67行、デモテック(民衆文字)のテキスト24行が併記されています。これは紀元前238年、プトレマイオス王朝の第三代目の王エウロゲーテス一世の時代に言及しています。
ポツダム大学のエジプト学者であるクリスチャン・テーツエは以下のように語っています。
「これは過去120年間にエジプトで発掘されたこの種の遺物の中では注目すべき、最も重要なものです。この碑文が重要であるのは、これが古代エジプト暦の改革についての勅令であるからです。この暦の改革は、実際には、250年後のジュリアス・シーザーの支配下にあった時代に至って実施されたものです。
この王は、他の業績とともにシリヤ、フェニキア、キプロスから穀物を輸入して、古代エジプトにおける飢饉の被害を軽減したことで称賛されています。プトレマイオス王朝の第三代目の王の権勢と恩恵とを明らかにするテキストです。
ブバステは紀元前8世紀にはエジプトの首都でした。ドイツ隊が発掘作業をしていた神殿は地震によって破壊されたと言われています。」
(J.サソン氏より提供)
3月22日~4月1日のTMBAエジプト旅行中に、私たち一行がブバステを訪れた際、ちょうどその時、この発見の報道のためにテレビ撮影が行われていました。その時には、これほど大きな発見だとは夢にも思いませんでした。