聖書の背景を示す石碑
高さ198センチメートルの塔のような形の「ブラック・オベリスク」と呼ばれる石碑が、紀元前9世紀から7世紀にかけて栄えたアッシリア帝国の首都の一つであるニムロデ(古代のカルフ)で見つかりました。これには、シャルマネセル3世が周辺諸国に遠征した時のことが楔形文字(アッカド語)とレリーフ(浮彫り)で描かれています。
レリーフに刻まれた2800年余りも前の出来事の情景と碑文から、聖書に記録されている記事の背景にある古代オリエント諸王国の営みや盛衰がうかがえます。
実物は現在ロンドンの大英博物館に展示されていますが、実物大のレプリカが当資料館に展示されています。
媒体:黒色玄武岩
寸法:H 197.85cm W 45.08cm
建立:紀元前825年頃
発見:ニムロデ(1846年)
現在:大英博物館
貢物を贈るイスラエルの王
レリーフの2段目には、旧約聖書に出てくるイスラエルの王エフーのことが記されています。
そこに描かれている出来事は紀元前841年のことです。シャルマネセル3世はカルカルの戦い(前853年)以来、十数年ぶりにシリア・パレスチナに遠征してきました。アッシリアの大軍は、ダマスコを征服し、イスラエル国に進攻して、今にも首都サマリアに到来しそうでした。その時、当時のイスラエルの王エフーは、貢ぎ物を携えてアッシリアの王に謁見しました。それでアッシリア軍は、カルメル山を左に見ながらイズレエルの平原を北上し、フェニキアのツロ、シドンを降伏させながら本国へ帰って行ったのです。
その時のエフーがアッシリアの王に謁見している様子が描かれています。そして、その上に楔形のアッシリア文字で「オムリの子エフーの貢ぎ物」と記されています。
旧約聖書の第二列王記 9〜10章を見ると、エフーはイスラエルの王オムリの子アハブとその一族を滅ぼした人物であったが、ブラック・オベリスクは、エフーを「オムリの子」と呼んでいます。それは、アッシリア人がイスラエル国のことを「オムリ家」と理解していたからで、ここの「オムリの子」という表現もイスラエル国の王を指すものと考えられます。