アッシリア王セナケリブのユダ侵攻

 サルゴン2世の後にアッシリアの王になったのはセナケリブ(705−681)である。彼の下で、西方遠征はさらに推し進められた。
  Ⅱ列王記18:13は、
「ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリヤの王セナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々を攻めて、これを取った。」と記している。
  この時の進攻についてセナケリブは、彼の「年代記」の中に詳しい記録を残している。また、ニネベにある彼の王宮の壁一面に、ユダのラキシュ攻略を描いたレリーフを張り巡らしていた。
  この時のセナケリブの最終目標は、エルサレムであった。
  一方、かつてない危機的な状況の中で、エルサレムでは、ヒゼキヤ王の指導の下で、やがて到来するアッシリア軍の襲撃にそなえて、着々と準備が行われていた。

アッシリア王セナケリブの遠征攻撃

(紀元前701年)

エルサレムと、ユダの地

東のオリーブ山から見たエルサレム(右が北)。古代「ダビデの町」の丘は南城壁の外にある。

ユダ地方の一風景(テル・ラキシュからの眺め)

≪ アッシリア帝国の西方政策と、サマリヤ陥落 ヒゼキヤ王とエルサレムの防衛 ≫
聖書考古学資料館の展示室
アッシリア帝国の西方政策と、サマリヤ陥落
セナケリブ王のユダ侵攻
ヒゼキヤ王とエルサレムの防衛
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